一般市民による濫用と治安機関による濫用
以前、TBいただいた「元検弁護士のつぶやき」さんの「共謀罪の議論について」。
<反対意見の中で濫用の危険性として例示されているシミュレーションのほとんどは、検事の感覚ではばかばかしくて捜査なんかする気になれないものです>
いわゆる居酒屋談義を指しているのだと推測されまして、確かに居酒屋談義云々は、共謀罪の説明を分かりやすくした例えであって、検事にとってはばかばかしいと思う。※これ面白い<共謀罪vs.居酒屋談義保護法>。
ただし、“スペクタクル社会”器物損壊や機関誌配りに何百日だかの行確と撮影といった、まさにばかばかしい捜査が現実に行われ起訴されている状態でもあり、ばかばかしい捜査をばかばかしいと感じない一部現場検事の突出した感覚や、ばかばかしい捜査も大真面目にやってしまうどこかの意志が反映しているような気がするのですけど、いかがでしょうか。
それだけの人員と時間的余裕があるのであれば、ほかにすることはないのでしょうか、ということで、だいぶ以前、自分の先輩が、警察本部長(もちろんキャリア)にこんな質問をぶつけたことがある。
「それほど強調するまでに治安悪化が深刻なのであれば、警備部門や機動隊の人員を刑事部門や地域警察官に回し、事件捜査や街頭パトロールを強化してはどうか」
もちろん、回答を予想した上での質問であったが、本部長の答えは予想通り「そんなことはできない」であった。
※治安悪化説のからくりについては→http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060520#1148064839
検察が公安警察のチェック役となっていないことは、元大阪高検公安部長の三井環さん がどこかで回想していたが、実際問題として、オンブズマン活動や弁護士までが監視対象となっている世情である。
<「共謀罪反対」がすでに監視対象となるニッポン>
テロリスト集団が市民運動を偽装して社会浸透を図っている…ああ、そうですか…。
共謀罪に対する現実的な懸念というのは、居酒屋談義ももちろんゼロではないけど、異論や異端を排除したり、反テロを旗印にすれば何でも許され、国策によって恣意的な懲罰が科される社会化にあるのではないでしょうか。<共謀罪に対する読売社説考>
元検弁護士さんがおっしゃるよう<一般の会社内の権力闘争などにも形式的には適用可能であったならば、それこそ反対派を陥れるための密告や告発が山のように申し立てられて、警察や検察はその処理にえらく苦労することになったのではないでしょうか。(略)共謀罪についてもっとも現時的に心配しなければならないのは一般市民による濫用であると感じていましたが=同上>、こんな事態というのは確かにありまして、桶川事件での犯罪的大失態から、羮に懲りてなますを吹くような状態とも思えますが、しかしともかく「一般市民による濫用を現実的な心配」とするより、チェック機関を持たない組織の暴走こそ現実的な懸念と感じますが、いかがでしょうか?
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コメント
某Sさん。実際、ノルマがありますからねぇ。管理目標とか言われているようですが。
エンジニア様。どうもです。まったく同感です。いつまで同じ失敗を繰り返そうとするのか。
投稿: 管理人@踊る新聞屋-。 | 2006年6月 1日 (木) 23時30分
工学的には「フィードバックの無いシステムは必ず暴走する」する事は自明なのですが、社会学的には状況証拠だけで時には「勝てば官軍」てなとこもありますから難しいですね。人間も馬鹿じゃないから名目的には必ずチェック機構を作るんですが暴走する側が力でねじ伏せるから結局暴走してしまうと言うのが歴史の教訓です。三重くらいののチェック機構が必要かもしれませんね。
投稿: エンジニア | 2006年5月28日 (日) 23時21分
検事はばかばかしくて捜査する気になれなくても、警察権力は検挙率を上げるアイテムに使用する可能性大だと思いますが、どうでしょうか。無灯火の自転車を呼び止めて無駄な時間を使っているのが良い例です。
投稿: 某S | 2006年5月21日 (日) 12時46分
モトケン様。レスをいただきありがとうございます。
実力装置は必要な以上、制度として、無茶なことはできないような明確な縛りを、かけるべきではないかと思います。
世論というのはその時々によって大きく変化しますし、そこに引きずられるマスコミの見識も、その時々で変化するのは宿命だと思います。
であればあおさら、パニックや熱狂に流されないような制度設計が必要だと思います。
最大公約数的な濫用の基準というのがどこにあるのか、確かに難しい問題ですが、ここ最近問題になっている国策的な事件や公安事件は、個人的には明らかな濫用というか、事件そのもの以外への目的があると確信しています。
投稿: 管理人@踊る新聞屋-。 | 2006年5月20日 (土) 20時43分
元検弁護士のモトケンです。
警察についても検察についてもチェック機関がないわけではないのです。
警察の違法捜査に対しては検察がチェックするべきですし、国家賠償請求を通じて裁判所もチェック機能を持ちます。
検察の不起訴に対しては検察審査会がありますし、検察の起訴に対しては警察の捜査も含めて裁判所が正面からチェックすることになります。
ただし、問題は2つあります。
一つは、チェック機関またはチェック機能の実効性ですが、ご指摘のとおり、必ずしも実効的に機能しているとは思われないところがあります。
特に公安警察の活動は、表にほとんど出ないだけにチェックが難しいですね。
二つめは、どこまでが濫用でなくてどこからが濫用であるかが、極めて不明確というか立場によって大きく変わってくるという問題があります。
問題になっている機関は、本来的には社会の秩序維持機関と見るべきものですから、究極的には社会すなわち国民ないし市民の判断が問題になると思いますが、その市民の判断を集約する立場にあるはずのマスコミの見識というものが必ずしも信頼できない感じがしています。
権力という実力装置の存在を前提とする以上、永遠の課題と言えそうです。
投稿: モトケン | 2006年5月20日 (土) 20時32分