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2006年5月 5日 (金)

永遠の少数派として■本棚「『生きる』という権利―麻原彰晃主任弁護人の手記」

 裁判員制度では無作為に選ばれた6人の市民が有罪か無罪か、有罪なら刑期はどれくらいか、を裁判官とともに評議する。
 死刑が争われる事件を主題に、徹底して情状酌量を求める弁護を見たグループAと、厳密な事実追求を行った弁護を見たグループBがあるとする。結果はどうか。
 グループAは死刑1人と無期懲役5人。対してグループBは、6人が全員が無期懲役だった。

 3月にあった日弁連の研修会の一コマである。この研修は“模擬裁判”と、まるで学芸会のような印象づけを企図したような言葉で報じられていた。
 “ドタキャン”理由として。

 デリケートなテーマなので最初に断っておく。被害者に対しては何の意図はない。報復感情は人間として当然だ。心情的には死刑には反対でも、こういう事件を聞くたび、やむ得まいとも思う。同時に、当事者でない者が「被害者の気持ちを考えろ」というのは乱暴だ。

 むしろ、不完全でファナティックで愚かなマスコミ報道に依拠して、無垢で善意の怒りを沸騰させる世論が恐ろしい。善意が必ずしも最良の結果をもたらすとは限らない。
 弁護士が裁判を引き延ばしている-もう、聞くのもばからしい常套句だ。

 4日、報道ステーションの特集で裁判員制度が取り上げられていた。主人公は、30歳の広島地裁の女性裁判官。ビジュアルがよく話し口も柔らかい。その彼女が、「責任の重大さを感じます、云々」とインタビューに応えるのだから、“司法を身近にする”PRとしては最適だろう。人選は、やはり最高裁だろうか。4月からは研修で2年間の弁護士生活に入るそうである。
 番組の最後、広島地裁の裁判長裁判官が「市民感覚に配慮して、云々」と述べていた。録画していないので正確ではない。
 裁判官が従うのは、事実と法、己の良心のみだろう。市民感情や世論に配慮してどうするのか。法廷を私刑の場にするつもりか。

 まず、最初に慣例を破ったのは、最高裁だった。
 裁判期日は裁判所と検察、弁護人の同意の上で決められる。最高裁であっても、弁護人から期日変更の求めがあれば裁判官と検察官、弁護人が面談し、それぞれ納得の上で結論を出す。
 今回について言えば、弁護人は1週間前に、期日を6月に延期するよう申請していた。しかし、最高裁は翌日、これを却下した。慣例破りという点で、極めて“異例”の判断だ。手続き上、弁護人に非はない。
 死刑が争われる事件となれば、鑑定や調書といった資料を読み込み、検察側主張との整合性や被告人との意志疎通に気の遠くなるような時間と集中力を要する。
 わずか1か月でできる作業ではない。

 そうした経緯があったのだから、弁護人が出席しないことは、最高裁も予想できたはずだ。にも関わらず、当日「正当な理由に基づかない不出頭で、極めて遺憾」(最高裁第3小法廷、浜田邦夫裁判長)との“異例の”コメントを用意するのだから、用意周到だ。

 被告は、調べの初期段階で殺意は否定していた。幼子の足を持って頭部を床に叩きつけた、とのストーリーにも疑義が出ている。日常でも階上の足音が聞こえる団地で、階下の住民は事件当時、そのような衝撃音を聞いていないという。起訴状と鑑定に整合しない部分が多々ある。1、2審では、事実関係についてほとんど争われていなかった。

 検察により、少年犯罪厳罰化の材料とするようなストーリーづくりが行われた形跡さえある。
 もちろん、検察、弁護側双方の主張がどこまで真相に近いのか、というのはまだ判断できない。
 ならばせめて、法廷で事実を争わず、どこで争えるのか。

 反吐が出るような例の手紙。
 この手紙にはまず、男に宛てられた、反吐が出るような反応を誘い出すような手紙があった。私人間の手紙が、どういう経緯で外部に出たのだろう。

 仮に殺意が否定され、傷害致死となれば、法定刑は3年以上の有期懲役。死刑にはできない。
 だとしても、結果として2人殺したのだから死刑にすべきという意見は否定しないが、ならば法改正を求めるしかない。法廷はリンチの場ではない。

 冒頭、日弁連の勉強会。弁護は事実に基づくべきである、と訴えたのは彼だ。
 少数派であることを厭わず、しかし弱さを隠さない。
 拘置所に閉じこめられたことにより、1日7箱は吸っていたタバコに禁煙に成功した。彼を葬りたい勢力にとって、皮肉な結果だ。

 公判で徹底的に争うのは“人権派”だからではない。事実を追求するからだ。
 そうすれば時間もかかる。事実を土台にしない法廷は私刑の場なる。

 TB<辺境通信 Henkyo News 安田弁護士対マスコミ・第2幕






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コメント

 M.F.さん。いつも拝読しています。例のエントリも読ませていただきました。
 <そして「遺族の身になってみろ」という言葉の都合の良さや乱暴さにも気付いている。>という部分で、自分が具体化できた部分もあります。引用してTBさせてもらおうかとも思ったのですが、デリケートな話なので遠慮いたしました。
 事実にもいろんな光の当て方がありますが、多様な光を当てるのが、自分らの仕事ではないかと気づき始めました。

投稿: 管理人@踊る新聞屋-。 | 2006年5月 8日 (月) 02時04分

 「国民に身近で親しみやすい司法」という発想がどうにも受け入れられない身として、TBを打たせてもらいました。
 僕もやや似通ったエントリをしています。妻との会話をもとにしたものですが、人を裁き人が裁かれることのきわどさと、「社会的制裁」とは何者か、という点を妻に理解させるのに、かなり苦労しました。苦労した理由は、妻が「詳しいことをよく分からなかった」からでしたが、「世論」の少なからぬ部分はそんな感じなのかなぁ、とやや暗い気分になりました。

 連休が明けると、いよいよ共謀罪でしょうか。特殊指定見直しという、新聞紙法と変わらない業界の弱点を握られた上に遠慮のない口利きを政治家にしているメディア(特に新聞)が踏ん張れるのか。正直、疑問です。過去1年で共謀罪に関する自社原稿か5本もない会社にいるもので……通信社のトーンが弱いのもあるのでしょうか。

投稿: M・F | 2006年5月 8日 (月) 01時37分

>いま吊せば、その解は永遠に分からないのでしょう。

ハイ、刑を執行すると彼自身が語ったり、リアクションする事ではその解は分かりません。

一方で、監獄で「怪物」の自然死を待つだけというのも何としても避けなければならない事態だと思いますよ。
「怪物」はあらゆる意味で社会に「解剖」され「還元」され「消化」されなければなりません。
本人の同意が無くともです。

彼の刑死が残された信者に一様な影響を与えるとは限らないし、むしろ彼らの中でより純粋な神にさえなるかも知れません。
また彼が生きている事に奇跡を観ている信者もいるかも知れないのです。
しかし生き物である以上はいずれ彼も死ぬのは間違いないのです。
死の形が社会的である事の意味に、今、私は重きを置きたいと考えてます

もちろん感情や報復という側面を各個人が持つ事まで禁忌できないですが、あくまでも彼が人の言葉を解さない獣として振る舞うならば、社会的にその生を終わらせる僭越さを理性の世界は持っていると思いますよ。

それがこの場合の特異な点だと思います。

投稿: トリル | 2006年5月 7日 (日) 22時40分

 トリルさん、いつもどうも。
 では、ジョディ・フォスターに登場願いましょうか…。さておき、教祖のことはよく知りません。部外者が司法に期待する要素の一つは、教祖をめぐって何があったのか、事実を追求することだと思いますが、報じられている態度では期待できそうにないですね。じゃぁどうするか…悩ましいですね。しかし、いま吊せば、その解は永遠に分からないのでしょう。

投稿: 管理人@踊る新聞屋-。 | 2006年5月 7日 (日) 01時33分

オウムの教祖さんについては、その信者の存在を抜きには一概にその処置を云々できないのではないかと思ってます。
彼らの絡め取られた糸を一つ一つ引き剥がす術に、その支柱の除去の意味は大きいと私は思います。

裁判上の手続きへの不満や危惧には大いに同意する部分もありますし、籠の鳥を今更野に放す事もないのだから飼い殺しにするべ、と言う意見もなかなか聴かせるモノがあることは認めます。
私もやたらな報復主義は害しかないと思いますから。

しかし麻原氏の現在に至る態度は、何ら状況解明に資するところがない、と言わざる得ません。
レクター・ハンニバルでさえ、危険と背中合わせながら知的な会話によって資するモノがあるのにです(笑)
彼が話をしないのは話す事が即ち処刑台の階段を上ることだと考えてるからではないか?
であるならば、話さない事が自己の利益にも反する事を明確に示さなければなりません。
彼がもし供述を始めたならば、その間は刑が執行される事はないのではないかと思います。

投稿: トリル | 2006年5月 7日 (日) 00時17分

 高野様。コメントありがとうございます。おっしゃる通りですね。予断を持って判断すれば、リンチにつながる危険は十二分にあると思います。司法改革とうなら、可視化と証拠の100%開示も必須と思います。事実争いが徹底して行われれば、裁判員もそれなりの判断ができると思うのですが。

 某S様。執行ボタンも無作為抽出の市民に押させるとか、処刑を公開するとか。そうすると、世論も変わるかもしれません。皮肉っぽいですが、けっこう本気です。

投稿: 管理人@踊る新聞屋-。 | 2006年5月 6日 (土) 15時18分

例え死刑が確定したとしても即座に執行できない法務大臣の下での死刑囚の扱いを変えないと駄目そうな気もします。リンチ的な裁判は、死刑囚の末路まで興味を抱かせてくれない、そんな気がします。オーディエンスは、死刑を支持するが即座に執行することまで支持していない。いや支持しているのだろうか?奥が深いです。

裁判官制度については、来たら蹴飛ばします。

投稿: 某S | 2006年5月 5日 (金) 21時23分

 裁判員制度には徹底的に批判を加えています。
 そもそもの決定経緯からして国家権力総与党化という超暴力的手法である、という極めて重大な問題もあります。
 私も踊る新聞屋-。様の指摘されているような事態を恐れております。第二の松本サリン事件が起きる危険性は、今のメディアの姿勢を見るにつけ極めて危惧されることです。
 私は裁判員制度について「国家権力が重罪犯罪者へのリンチに市民を強制的に加担させる制度」と考えております

投稿: 高野 善通 | 2006年5月 5日 (金) 14時01分

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